触媒固定化設計チーム

第2回 ヘテロ原子化学チーム  韓立彪研究チーム長インタビュー

『オリジナリティを追求し、世界に先駆けて触媒的ヒドロホスホリル化反応を開発』

有機合成の実験は体力勝負。実験を繰り返す中で、偶然から世界初の発見が生まれる。

韓さんは、いつ、どういうきっかけで日本に来たのですか?

1984年に大阪大学工学部に留学しました。ちょうど30年前です。80年代はまだ中国人留学生は珍しく、私も高校を卒業したばかりで日本のこともちんぷんかんぷんでした。中国で1年間日本語を勉強しましたが、関西弁が聞き取れなくて(笑)。当時を振り返ると、大阪の皆さんに非常にお世話になったことが思い出され、感謝の気持ちでいっぱいです。

大学時代の専門分野は何ですか?

有機合成、ヘテロ原子化学です。聞きなれないかもしれませんが、「ヘテロ」(hetero)とは「異質」という意味で、ヘテロ原子は広い意味では炭素と水素以外のものを指します。例えば窒素 (N)、リン(P)、硫黄(S)などはその典型例です。学生時代は、元素の特性を生かして新反応・新物質を作ろうという大きな流れがありました。そういう中で大学4年から博士課程までずっと、テルル(Te)という元素を含む化合物の研究をしてきました。テルル化合物にはかなり臭いものが多く、大学からの帰り、自分が電車に乗ると周りに誰も人がいなくなるほどです。テルルの匂いが染み付いたせいですが、自分は麻痺して分からなくなっていたんですね。

臭いのも忘れるくらい研究が面白かった?

ものすごく面白いですよ。有機合成は体力勝負で、そういう意味では私に向いていたのかな(笑)。実験の数に比例して成果が出るので、徹夜で実験をすることも結構ありました。いろいろ試しているうちに想定とは違うものが出てきたりして、そのような偶然が非常に大事なんです。そういう意味では、これまでの研究成果は全部たまたま見つけた反応ばかりなので、あまり自慢できません(笑)。

いえいえ、韓さんの研究成果は「世界に先駆けて」発見されたものがいくつもあると聞いています。

オリジナリティは、私が研究者として一番大事にしていることです。大学時代に、恩師の園田昇先生や神戸宣明先生らから叩き込まれました。

学生時代に手がけた研究で、印象に残っているものを紹介してください。

テルリド化合物(エーテルの酸素をテルルに置き換えたもの)はラジカル的に、非常に容易に切断され、反応することを初めて発見しました。当時私は、それが学問的に面白い発見であると分かっていましたが、その実用的応用の可能性までは検討しませんでした。後にこの反応を利用して、京都大学の山子茂先生が新しい高分子のリビングラジカル重合技術(高分子の合成法の一種)を開発されました。それは、私が産総研に来て何年も経ってからのことです。この反応が忘れ去られることなく研究され続け、応用まで進んだのは嬉しい限りです。

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【世界に先駆けて触媒手法によるビニルリン化合物の新製造法を発見し、工業化を実現。】

産総研に入所後、研究環境について感じたことは?

入所した時は、まだ独法化前の工技院時代(物質研)でしたが、一番強く感じたのは、設備がしっかり整い、とても恵まれた環境で研究できるということでした。また、私は大学で主にヘテロ原子化学を手掛けてきましたが、所属した研究室には多くの触媒研究の専門家がおられ、異分野との出会いがありました。良き上司や先輩方に囲まれて、自分の触媒の技を高めることができ、それをヘテロ原子化学とうまく融合させることもできました。これは研究者としての道を進む上で、非常にプラスになったと思います。ずっと同じことばかりやっていても、新しい発見はできませんからね。

韓さんはヘテロ原子化学一筋ですが、そもそも「ヘテロ原子化合物の合成法の開発」という研究テーマは何を目指しているのですか?

硫黄、窒素、リンなどの有機物は典型的なヘテロ原子化合物で、医薬や機能性材料などに幅広く使われています。しかし、これらのヘテロ原子化合物はなかなか効率よく作れません。特に、触媒的に作ろうとすると非常に難しいんですね。なぜなら触媒に対して毒性があって、触媒を失活させてしまうからです。ですから、なんとかして効率よく作れるようにしようというのが原点です。

最初は、リンのほか、硫黄、セレン、テルルなどいろいろと研究していましたが、現在はリンに絞って集中しています。おかげさまで、触媒的ヒドロホスホリル化反応(P(O)H化合物がオレフィンなどに付加する反応。副生物の発生がなく、効率的)を発見し、ビニルリン化合物(炭素―炭素二重結合にリンが結合した構造をもつ化合物)の触媒的製造法を確立しました。これはオリジナルな発見であり、用途もしっかりとあります。この研究を手がけた当初は、仲間がいなくて寂しかったのですが、現在はアメリカ、フランス、ロシア、中国など多くの研究者がこの分野に参入しています。随分にぎやかになり、競争が激しくなってきました。

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韓さんが開発した新触媒的製造法とは、どのようなものですか?

触媒的ホスホリル化反応というもので、これを使うと、重合性のビニルリン類を効率よく製造できます。用途の一つとして、効果が持続する高分子の新しい難燃処理に使われ、ハロゲン系難燃剤を使わずにポリマーを燃えにくくすることができます。ご存知のように、ハロゲン系難燃剤は環境汚染への危惧から使用を規制する方向で検討が進められています。

今はまだ規模は小さいですが、2006年より片山化学工業が製造・販売をしています。国内に需要があるので、数年後には100トン以上の規模に生産を拡大すると見込まれます。世界に先駆けて新反応を見出し、工業化まで持っていけたことは、正直とても嬉しいです。

最初に反応を見つけてから工業化まで何年くらいかかりましたか?

1994年に反応を見つけ、1996年に論文を出し、片山化学工業の製造開始が2006年ですから、10年以上かかりました。一般的に、基礎研究で見つけられた新反応のほとんどは、実用まで持っていけません。新反応の発見と実用化というのは、次元が違う話なのです。そういう意味では、ラッキーでした。実は、最初は工業化は無理だろうと思っていたんです。というのは、当初の条件では高価なパラジウム(Pd)やロジウム(Rh)を触媒として使うため、製造コストが高くなりすぎるからです。幸い、その後触媒の改良に成功し、安価なニッケル(Ni)や銅(Cu)を触媒として効率よく作れることが分かり、現在では1キロ約1000円という目標を達成できました。

【発見と応用の両輪で研究開発を。触媒技術で、環境・エネルギー関係の機能性材料を作りたい。】

工業化された新しい材料で、今後さまざまな製品が作られるわけですね。

そのとおりです。ビニルリン類は、重合性のある機能性モノマーです。先ほどお話しした難燃剤だけでなく、他にもいろいろな用途があります。実際に製品として形になり、自分の手で触れるようになったら嬉しいですね。

難燃剤以外で、どのような用途が考えられますか? 

例えば、バッテリー・電池関係です。とくに震災後、社会が直面している技術的な問題を解決するのは、研究者の使命と言えます。課題の一つとして電池開発のブレークスルーが求められていますが、その鍵を握るのは新しい材料の出現でしょう。そこで、モノを自由自在に操れる有機合成屋が活躍できると期待しています。

どのようなバッテリーができそうですか?

狙いはバッテリーの性能向上です。例えば、現在のリチウムイオン二次電池は、高い温度では激しく劣化してしまいます。従って、電気自動車に使用する時には、電池の性能を維持するために冷やさなければなりません。しかし新しいリン系の材料を使えば、その課題が克服できそうです。具体的には、50度以上の温度でもうまく再充電できるようになる可能性を見出しています。

研究面で今後の目標を教えてください。

リン化合物の新しい作り方と新しい応用の発見です。先ほど紹介した触媒的ホスホリル化は、あくまでもその一部に過ぎません。現在のリン化合物の製造は、三塩化リン(PCl3)という毒性の強い化合物を使って行われていますが、これを根本的に変え、環境負荷のない製造法を開発するのが夢です。

さらに、新反応を開発するだけでなく使い途まで考えたいですね。例えば、先ほどお話しした電池などエネルギー関係にぜひ応用したい。ですから、発見と応用の両輪で研究を進めていくつもりです。

ところで、一連の研究にゴールというのはあるのですか? 

工業化が一つのゴールと言えるでしょう。見つけた新反応は、自分にとっては子供みたいなものです。かわいいけれど、いつまでも自分で抱えているのではなく、ある程度育てたら技術移転をして巣立ってもらわないといけません。

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【研究者は研究に専念すべき。厳しくも自由な新制度を提案したい。】

韓さんの研究者としてのモットーを教えてください。

自分なりの考えを、「3H(または3D)の研究」という表現でまとめてみました。3Hというのは、発見、発展、発信。それを英語にすると、発見=Discovery、発展=Development、発信=Disclosureで3Dとなります。まずは発見で、オリジナリティが一番大事だと考えています。

オリジナリティというと、新しいものにゼロから挑戦することになります。不安も大きいのでは?

一番の不安は、結果が出るまで周囲に理解されないことでしょうね。成果が出れば理解されやすいけれど、それまではしんどい。おかげさまで私の場合は、基礎研究の段階では上司や先輩に恵まれ、技術移転の段階では知財や産学官の方々に恵まれました。実に多くの方に助けていただき、お世話になりました。

話は変わりますが、こういうサポート体制がしっかりしているところも産総研のメリットです。オリジナリティのある研究に挑むには、外部資金の獲得と企業から注目してもらう環境の両方揃うことが理想と言えます。基礎研究には研究資金が必要ですし、研究があるフェーズに達したら企業の皆さんに注目してもらうことも重要です。

企業からの要望に応えて研究テーマを設定する場合もありますか?

あくまで私の場合ですが、ありません。多くの企業が求めるのは短期間で成果の出る「改良」だと思います。そういう改良を目的とした研究をするのは、自分の役割とは考えていません。新しくオリジナルな発見をし、それを可能であれば実用まで発展させていくのが私の研究スタイルです。

まず研究者に求められるのはオリジナリティであり、それを追求するには外部へのプレゼンテーション能力やマネジメント能力まで求められるということですね?

現在は、そのような能力を兼ね備えないとやっていけないのは事実です。しかしそれでは一人の研究者にすべてを求めることになるので、さすがに大変ですし、効率も悪くなってしまいます。

叶うならば、「研究できる者は研究だけに専念すればいい」というのが私の持論です。無論すべての職員ではありませんが、例えば、研究能力があって研究を望む一部の職員に、5年間にわたって十分な研究費を無条件で与える。何も要求せず自由に研究をさせて、5年後に評価し、不合格なら研究をやめさせる。そういう制度があってもいいのではないでしょうか。本当にクリエイティブな成果は、個々の研究者の素質にかかっています。

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ある時期、研究に没頭することに意味があるのですね。

そう、年齢的には30代がベストでしょう。そこまでやっても成果が出なければ、他の進路を考えるべきです。研究が人生の全てじゃありませんから。

厳しい世界ですね。

そうですね。特に基礎研究の世界では、最初に発表した人が勝ちです。一番目は評価されますが、二番目とか三番目に光が当たることはありません。

韓さんはこれからも「世界初」を目指し続けますか?

私もそろそろ40代を卒業しますので若い時ほどパワーはありませんが(笑)、何時もベストを尽くしますよ。最近思いを強くしているのは、研究手法の革新です。これまでの延長線上ではなく、まったく違うことを始めたい。例えば、新反応の開発です。従来の手法では、金属や配位子などをいろいろ変え、触媒構造を最適化して反応を効率よくさせてきました。ある意味、マニュアル化された流れです。こういう研究ができるのは、80年代までは欧米だけでしたが、現在は新興国でも簡単にできるようになっています。言い換えれば、せっかく新反応や新技術を見つけても、今や簡単に真似されるということです。このようなフィールドで競争しても、意味がありませんよね。私たちは、簡単に真似されないものをやらないといけません。現在私が試みているのは、物理を化学に導入し、物理と化学を融合させることにより新反応を開発しようという挑戦です。これが成功すれば、簡単には真似されないと思っています。

(聞き手・文=太田恵子)