触媒固定化設計チーム

第34回 触媒固定化設計チーム 松本和弘研究チーム長

『有機合成の視点を武器に、シリコーン精密合成の基盤を築く』

【香月研究室で“運良く”見つけた触媒反応による不斉エポキシ化】

まず、化学の道に進んだきっかけや恩師との出会いについて聞かせてください。 

九州大学理学部化学科に入学し、有機化学の最初の講義で「化学には、東大の化学とか京大の化学、ハーバード大の化学、マサチューセッツ工科大の化学というのはなく、もちろん九大の化学というのもありません。全部一緒ですから、そのレベルで講義をします」とおっしゃったのが香月勗先生でした。それまで怠惰に生きてきた私は身の引き締まる思いがしたものです。 

 先輩からも、「香月研究室は、世界レベルで研究をしている」と聞いていました。今年(2022年)、K. Barry Sharpless 先生が2度目のノーベル賞を受賞しましたが、2001年に初めて受賞した時の不斉触媒による酸化反応は、香月先生がポスドクでMITにいた時期に開発されたものです。その反応は『香月Sharpless不斉エポキシ化反応』というもので、Sharpless先生が反応名に“香月”と付けるようにおっしゃったのだそうです。そういう反応を開発した先生のもとで研究をしようと、香月研究室に入りました。


 

私が本当に化学にのめり込んだのは香月研究室に入ってからです。朝9時から夜中まで研究室で実験をして家に帰ってから論文を読むような日々が続きました。 

香月研究室での研究成果は? 

香月Sharpless不斉エポキシ化反応は、アリルアルコールという基質をエポキシ化、つまり炭素-炭素二重結合酸素原子を付加した3員環に変換する反応です。香月先生はMITから帰国されてから、アルコールのついていないオレフィンのエポキシ化を研究されていましたが、過酸化水素水を酸化剤として用いたオレフィンの不斉エポキシ化が未解決でした 

 そうした中で、私がこの反応に有効なチタン錯体を発見し、論文にまとめて発表。学位を取得しました。その論文をすぐにSharpless先生が評価してくれて、香月先生が「Sharpless先生からメールがきて、“この成果は(大きな)ジャンプだ”とすごく褒めていた。こんなことは滅多にないよ」と喜んでくださいました。 

 この反応を発見した時が、私の人生で一番興奮した時ですね。今でもそれを超えることはありません。 

のテーマに自ら挑戦したのですか 

いいえ、違うんです。香月先生から「何かしらの二核錯体で何かやってください」というざっくりしテーマを与えられのが発端です。金属サレン錯体に光学活性スルホキシドを入れて新しい異種二核錯体にしようとしたのですが、その合成に必要だったチタンサレン錯体うまく合成できず、困ったなと。その時濾液に入っているものを再結晶したら別なものが出てきて、それを使うと不斉エポキシ化がうまくいった。狙って作ったわけではないものが役に立ったのが、この触媒反応だったというオチです。運が良かったです。

大学から産総研へ移り、初めてケイ素化学の分野へ 

助教として大学で研究を続けることにした経緯は?

香月先生に声をかけていただき、先生が退官されるまでの約2年間だけと思って引き受けたのですが、実際には退官後も特別主幹教授として研究室を持たれたので、結果的に7年間助教を務めました。 

 助教時代の仕事は、主に研究です。博士課程の頃は年間1000個くらい反応をかけましたが、助教になってからも年間500〜600個くらい反応をかけていました。有機合成の研究は打率が悪いんですよ。1000個反応をかけても、ものになるのが1個くらいなので、体を動かすしかない。うまくいかない方が多いけれど、なぜうまくいかないかを考えて、また実験を繰り返す。一番辛いのは、これ以上考えようがない時です。その時はテーマを変えるか、テーマを寝かせるか。実際に以前諦めた反応で他から論文が出たこともありますが、それでも「考えは合っていたから良かった。他の人が答え合わせをしてくれた」と思えるようになりました。 

なぜ大学から産総研へ移ることに決めたのですか? 

助教になったから5年をめどに外へ出ようと考えており、2年くらい行き先を探す中で、産総研がNEDOの『有機ケイ素機能性化学品製造プロセス技術開発』(略称:ケイ素プロジェクト)に携わるメンバーを公募している知りました。でも当時私は産総研もNEDOも知らず、ケイ素化学を手がけたこともなかったんです。それでも応募したのは、公募で佐藤一彦センター長の名前が目に入り、不斉ではないエポキシ化を開発されていることを知っていたからです。また、もともと不斉合成酸化反応にこだわるつもりはなく、移るからには新しいことをしようという気持ちもありました。 

ケイ素化学を知らないから行き着いた、シロキサン結合のワンポット合成技術 

産総研に来て、NEDOのケイ素プロジェクト与えられた仕事 

ケイ素原料の中で、地球上に一番多く存在するのがシリカです。NEDOのケイ素プロジェクトで、シリカからテトラアルコキシシランを経由して有機ケイ素原料を作るというテーマがありました。つまり、今までとは違うルート、しかも環境に優しいルートでシリコーンを作ろうという研究です。 

 そこで私に与えられたのが、安い試薬を使ってケイ素酸素(Si–O)結合を切断し、ケイ素炭素(Si–C)結合、あるいはケイ素水素(Si–H)結合を形成するミッションです。しかし、これが全然うまくいかない。そこで、ケイ素酸素(Si–O)結合を切るのがダメなら、安定なケイ素酸素(Si–O)結合の気持ちを知るためにも、1回これを作ってみようと考えたところ、うまくできる反応を思いつきました。結果的に、それが今の研究につながることになります。 

  • 『シロキサン結合のワンポット合成技術』ですね?

 そうです。シリコーンなどの有機ケイ素材料の主骨格はシロキサン結合からなりますが、従来の交差縮合法で複雑なシロキサン化合物を得るには多段階の合成が必要でした。私が開発したのは、連続する複数のシロキサン結合をワンポットで一挙に、精密につなぐ技術です。

なぜ専門外のケイ素化学ワンポット合成に行き着けたのですか? 

ワンポット合成で使っ触媒反応多分ケイ素の専門家は反応性が高すぎて制御できないと思っていたのではないでしょうかケイ素化合物を取り扱うとき、ケイ素の専門家はケイ素に注目ますが、私は有機合成が専門なので有機基の方例えばアルコキシシランだったらアルコキシに注目します。同じ反応でも見方が違ので、反応性を制御できるのではないかと思いつき、組み合わせを少しいじったらうまくいきました。

ワンポット合成の研究は、その後どのように発展していすか

世の中で実用化されているシリコーンは、長さがバラバラで制御できておらず、いろいろな置換基がある場合はその順番も制御されていません。それをうまくコントロールしたらどういうことができるか、これまでの研究で合成技術はかなりわかってきたので、今はワンポット合成の反応を基にいろいろな化合物を作っているところです。 

 2021年にJSTのさきがけ研究に採択され、配列を制御したシロキサン化合物のライブラリを作って物性をデータベース化しようと考えています。そこまでいくと、多分いろいろな人が使えるようになるでしょう。「こういう組み合わせだったら、こういう物性になりますよ」という基盤を築くのが私の仕事。そのデータを基に、誰かが良い材料を見つけてくれればいいかなと。成果の実をもぐのは自分だけじゃなくていい、いろいろな人がもいでくれたらいいと思っています。 

次々と新しい分野、新しいテーマへと研究を広げる 

2017年にケイ素学チームから触媒固定化設計チームに移った時の思いは?

大学にいた頃からずっと均一系の触媒を研究していたので、不均一系の触媒触ったことがありませんでした。とはいえ、酸化からケイ素へ研究テーマを変えた時もそうですが、「専門でやってきた人と違うセンスで物事を見れば、何か発見できるかもれない」という思いはありました。均一系触媒と不均一系触媒は言語も文化も違いますから、苦労はしています。不均一系触媒の難しさは、均一系触媒ほど起きている現象が明確に見えない点です。でも、私が今から不均一系触媒を理解して専門家と同じことをやっても勝ち目はないし面白みもない。違うセンスで横から見て、不均一系触媒専門からした常識的じゃないアプローチをするのが私の役割です 

現在の新しい研究テーマは?

稲垣伸二さん(株式会社豊田中央研究所シニアフェロー)と、新しいメソポーラス有機シリカを開発する共同研究を進めています。稲垣さんはメソポーラス有機シリカを世界に先駆けて開発された方ですが、触媒の専門家ではないので、そこに有機合成のセンスを注入すると違う視点が加わり、何か新しいものが生まれるのではないかと私も楽しみにしています 

多様な研究者とディスカッションし、自分を高められる研究環境。産総研に来て良かった! 

このように多様なことに挑戦できる産総研の研究環境どう思いますか?

そこですよね。産総研の触媒化学融合研究センターに来て一番大きいのは、それまでのバックグラウンドを生かして、さらに違うことに挑戦できるところです。大学にいたらここまでテーマを変えることはできなかったし、大学にいた時より確実に幅広い経験ができています。 

 センターには私と同年代の研究者も多く、話をする中で気づきを得られるのがすごくいいですね。チームの枠を超えて連携しながら研究を進めることができます。 

 私も自由に研究をさせてもらえたし、サポートもしてもらえました。産総研がこういうところだと知らずに来たけれど(笑)、来て良かったです。 

産総研で印象的な出会いはありましたか 

もちろん、佐藤センター長ですね。このセンターに来たから、今の研究ができたと言えます。佐藤センター長がよくおっしゃるのは、「横展開と挑戦を両方やれ」ということです。ケイ素のワンポット合成にしても、最初に佐藤センター長から「ケイ素酸素(Si–O)結合を切れ」と言われ、そこから逃げつつも挑んだことによる結果なわけで、何もなかったらいきなりワンポット合成にはいけません。だから運が良かった。運は10年に1回しか来ないらしいので、学生時代のエポキシ化で1回、ワンポット合成で1回使っているので、次は多分5年後くらいでしょうか(笑)。 

もう一つは、プロジェクトのみんなとの出会いです。みんな考え方が違うので、上司や部下というしがらみとは離れて付き合えるし、ディスカッションから刺激を得て、自分が高められる感じがしますね。それが研究成果にも繋がっていると思います。 

今後、研究者としてどのように進んできたいですか?

私はどっぷり基礎研究に浸かっているので、作っているものが直接的に社会に役立つわけではありません。その点は、あまり産総研的ではないでしょう。ただ、例えば私の研究成果が別の基礎研究を進めるツールになるとか、どんなレベルでも誰かの役に立てばそれでいいと思っています。 

 それから、今の自分を形作っている言葉を振り返ってみると、恩師の香月先生と上司の佐藤センター長が、偶然にも同じようなことを言っているんです。それが「根拠のない自信」。これは間違いなく研究者にとって大切です。

(聞き手・文=太田恵子)