触媒固定化設計チーム

第9回 触媒固定化設計チーム 崔 準哲 主任研究員インタビュー

『多様な研究テーマに挑戦し、触媒の可能性を追求』

 【大学2年生のときに一念発起、勉強嫌いを返上して化学に没頭】

崔さんは韓国出身だそうですが、どのような街で、どのような少年時代を過ごしたのですか?

私は、韓国北東部の東海岸に面した江原道・東海市で生まれました。1-1.崔さんコラムjpg 漁業が盛んで、韓国で最も人気のある観光地の一つです。春は滝遊び、夏は海水浴、秋は紅葉狩り、冬はスキーと一年中楽しめるところなので、小中学生の頃はいつも遊んでばかりいて少しも勉強をしませんでした(笑)。
 韓国の童話で、親の言い付けと反対のことばかりするあまのじゃくなアオガエルの話があります。私も、母から「海へ行ってはいけません」と言われたのに、夏は毎日海で遊んでいたので、童話のアオガエルのようだと母に叱られてばかり。そういう子どもでした。

 

勉強嫌いだった崔さんが、いつ頃から勉強を面白く感じ始めたのですか?

私が初めて本気で勉強したのは、大学2年生になってからです。きっかけは大学1年を終えて兵役に就いたことでした。除隊して大学2年に復学したとき、これからの人生をどう生きるか、ご飯も喉を通らないほど突き詰めて考えました。その結果、「今ならまだ間に合う。これからは真面目に勉強しよう」と決意したのです。

大学2年生の1年間は、授業のない時間は図書館にこもり、高校の教科書からやりなおしました。勉強をするうちに有機化学と無機化学が面白くなって、成績も一気に上がりました。そうしたら分析化学の教授が声をかけてくださり、3年生から研究室に所属し、修士課程まで進みました。
  この経験から、「決意さえすれば、何でも成し遂げられる」ということを学びました。

【東京工業大学に留学し、オレフィンと一酸化炭素のリビング重合を発見】

その後、いつ、どのような経緯で日本に来たのですか?

実は、修士課程2年生のときに一旦就職が決まり、結婚する約束もしていたのですが、教授が私に留学を強く勧め、教授自ら就職の話を断ってしまいました。いきなり予定が変わり、東京工業大学に留学することになったのです。

人生の予定を変えてまで留学を決意した理由は?

教授の計らいで、事前に東京工業大学を10日間ほど見学させていただく機会がありました。そこで実感したのは、日本の大学は学生や設備のベレルが極めて高く、私のいた環境とは天と地ほども差があったことです。また、東京工業大学には錯体・有機金属化学の分野で日本トップレベルの小坂田耕太郎先生(当時准教授)がいらっしゃり、ぜひ先生のもとで学びたいと思って留学を決意しました。
 1994年に来日し、研究生(半年間)を経て博士課程に入学。私は、小坂田研究室のドクターコース第1号です。

小坂田研究室では、どのような研究に取り組みましたか?

私に与えられたテーマは、「有機金属錯体を用いたリビング重合」です。オレフィンをリビング重合させる方法を見つけるよう課題を出されました。重合とはポリマー(重合体)を合成する化学反応で、その反応がliving(生きている)、つまり止まらず進行し続けるのがリビング重合です。

2-2崔さんjpg1年半もの間まったく成果が出ずに苦しんでいたとき、小坂田先生がアメリカに留学され、やる気を失いかけていました。しかしある日、同級生がIR(赤外分光装置)で測定しているのを偶然目にして、ものは試しで私もIRを使って分析してみました。

すると、オレフィンの単独重合では見えるはずのないカルボニル基が現れた。最初は「おかしい、なぜだろう」と首をひねりましたが、どうやらロジウム錯体触媒に配位していた一酸化炭素(CO)がオレフィンと反応し、カルボニル基を持つ化合物ができているらしい。もう夜の11時頃でしたが、居合わせた助教に許可をもらい一酸化炭素を風船に入れて運んできて、反応させてみました。すると、信じられない結果が出た。
それがオレフィンと一酸化炭素のリビング重合を発見した瞬間です。
私の人生で一番嬉しくて、忘れられない瞬間となりました。

 

崔さん図1

大きな発見をし、その後の研究は順調に進んだのですか?

ところがそうはいきませんでした(笑)。先生から、反応の経時変化を追跡するよう課題を出されました。先生を納得させるにはどのような実験が必要かを考え、準備をして実験を行い、データを提出する。そうすると、なぜそういうデータが出たのか理由を調べるよう、また宿題を返される。その繰り返しです。
 経時変化の追跡は核磁気共鳴装置 (NMR)を使って行いましたが、大学でNMRを長時間使えるのは夜だけです。そのため、午後3時に大学に来て、夜通し実験をして朝9時に家に帰る生活が約1年間も続きました。

昼夜逆転の生活が続き、もう研究をやめたいと思ったことはありますか?

正直、博士課程3年の終わり頃は、つらくて大学に行きたくないと何度も思いました。でも、私は留学後まもなく結婚し子どももいましたから、幼い子どもの顔を見て、「大学に行かなければ」と自分を奮い立たせた日もあります。家内には今でも頭があがりません。
 頑張ったお陰で良い成果を出すことができ、結果的に博士課程を3年で卒業することができました。振り返ると、あの時期は徹底的に心が鍛えられましたね。今はちょっと辛いことがあっても「この程度か」と水に流すことができます(笑)。 

【産総研で二酸化炭素の利用技術を研究し、炭酸エステルの合成で成果をあげる】

卒業後も日本で研究を続けようと決めていたのですか?

いいえ、韓国に帰るつもりでした。しかし卒業の前年、1997年に韓国が金融危機に見舞われたため帰国を断念したのです。そこで、進路をアメリカ留学に切り替え、ポスドクとして大学に半年間残って留学準備をすることにしました。そういう中で物質工学工業技術研究所(現:産総研)の坂倉俊康さんが声をかけてくださり、最初の1年間は科学技術振興機構(JST)の特別研究員、その後職員として採用されました。

物質研では、どのような研究をしたのですか?

私が出会った新たなテーマは、二酸化炭素(CO2)の利用技術です。私は大学時代の延長線上で一酸化炭素を使った研究をするものと思っていたので、ひどく戸惑いました。なぜなら、二酸化炭素は無毒ですが、安定していて非常に反応しにくい物質だからです。

研究に使う二酸化炭素は、どのようなものですか?

超臨界二酸化炭素です。これは、二酸化炭素と液体に圧力をかけ、二酸化炭素を気体でも液体でもない「超臨界」状態にしたもので、気体の状態よりも反応しやすくなっています。

超臨界二酸化炭素を使い、どのようなテーマに取り組んだのですか?

二酸化炭素をアルコールと反応させて、エンジニアリングプラスチックの原料である炭酸エステルを合成し、中間体を全部取り出して結晶構造を見えるようにする。当時は不可能としか思えなかったミッションが私に与えられました。二酸化炭素がある雰囲気下で中間体を安定させるのは非常に難しく、結晶をとるまでに丸6か月かかりました。
  しかしその後は極めて順調で、実験をする度に次々と新しいデータを得ることができ、2000年の日本化学会の学会では、私1人で5件の発表をしたほどです。
二酸化炭素の利用技術を、大きく発展させることができました。

2.崔さん図2

その後も二酸化炭素の研究を続けたのですか?

いろいろ紆余曲折がありまして、2005年には企画本部でマネジメントに従事し、2006年にはNEDOプロジェクトの研究に従事。そして2008年に念願のアメリカ留学を果たしました。

アメリカ留学から得たものは大きかったですか?

私はこの留学で、一つの挑戦をしました。それは、違う専門分野を学ぶことです。触媒を使わない有機合成の研究をしてみたくなり、ルイス酸を使った化学反応で有名なRick L. Danheiser教授がいるマサチューセッツ工科大学(MIT)を選びました。そこでは、南アメリカに生息するカエルが持つ毒と同じ化合物を作る研究をしました。
 結果的に、この留学は後悔が残るものとなりました。専門外の分野で分からないことが多く、しかも有機合成は精製の過程がメインとなるため、精製ばかりしなければならないことに非常にストレスを感じたのです。
 もちろん留学で得たものもあります。研究成果の面では、非常に効率の良い脱酸素反応を見つけました。またDanheiser教授からは、再現性をとことん重視する姿勢を学ぶことができました。

【革新的な「シングルサイト不均一系触媒の開発」に挑む】

  崔さんは、研究テーマも環境も目まぐるしく変化してきたのですね。アメリカから産総研に戻ってからの研究テーマは何ですか?

安田弘之チーム長のもとで、一貫して有機金属化学をベースとした触媒の研究を行っています。特に、当コラム『挑戦』の第6回インタビューで、安田チーム長が今後の抱負として「シングルサイト不均一系触媒の開発」を挙げていますが、それが現在の私の主要テーマです。

これは、固体表面に均一な活性点を分散させて配置する研究で、私が活性点として一番力を入れているのは白金(Pt)などの貴金属です。白金は非常に活性が高い反面、塊になってしまうと表面に出ているほんの一部分しか反応に関与しないため、多くの原子がむだになってしまいます。そこで白金原子を1個1個分散させてむだ無く反応に使うのが狙いです。

どのような手法で白金原子を分散させて並べるのですか?

例えば、私たちは暑さや寒さを防ぐために洋服を着て、雨が降れば傘をさしますよね。それと同じように、白金原子の周りに洋服や傘の役割をしてくれるプロテクターを付けます。これにより、白金は周囲の影響を受けずにすみます。また、白金が固体表面上に分散して載るように脚のようなものを作ります。そして、反応させたいときにはプロテクターが外れ反応が始まるような設計にします。

「洋服と傘」の手法は、白金以外の金属にも応用できますか?

できます。すべての金属とは言えませんが、パラジウム(Pd)をはじめ触媒として重要な金属には応用が可能です。
この研究は非常に面白く、シングルサイト不均一系触媒の実現は、ある意味、固体触媒の世界を変えることになるでしょう。

【一歩踏み込んだ、国際的な人材育成や交流のパイプ作りをしたい】

今後、挑戦したいテーマは何ですか?

研究に関することと、研究以外のことと2つあります。

研究の方では、私たちが研究している触媒固定化技術を材料研究に発展させることです。たとえば、光る性質を持つような固定化錯体触媒をそのまま膜にして、光る材料として利用するというように、固定化触媒自体を材料としても使うことができないだろうかと考えています。

もう一つ、研究以外で挑戦したいこととは?

将来的に、研究者の国際的なパイプ作りをしたいと考えています。例えば私の母国である韓国でいうと、韓国の大学内に産総研の分所をつくり、学生に産総研のテーマで一定期間研究をさせて専門的な人材を育成し、日本の産総研に発信する。そのように一歩踏み込んだ、本格的な人材交流を促進させることができればと思っています。

それは、産総研に恩返しするためですか?

3-3崔さんコラム私も組織の一員として長年研究をしてきましたが、産総研のような組織はただ研究だけ頑張れば良いわけではなく、国民に対して還元しなければなりません。
 私は、研究成果の発信もさることながら、人材交流という面で、産総研の働きをより見えるようにしたいと思っています。
産総研が世界各国とのパイプを持ち、優れた人材を育てて日本に呼び寄せ、素晴らしい研究をしていることをアピールする。国際的な人材の育成や交流は、未来への投資です。長い目で見れば、産総研のみならず日本社会にもさまざまな形で還元されることでしょう。

 

 

(聞き手・文=太田恵子)