触媒固定化設計チーム

第26回 固体触媒チーム 甲村長利研究チーム長

『有機立体化学をベースに、フレキシブルに研究を展開』

【高校で有機化学の面白さに目覚め、大学で実験から多くを学ぶ】

どのような子ども時代を過ごし、いつ頃から理系に興味を持ちましたか?

 

1.甲村とにかく好奇心旺盛で、何かにつけ「なんでだろう?」と考える子どもでした。小学校低学年の頃は壊れたテレビやラジオを分解するのが好きで、元通りに組み立てられず、よく親から叱られたのを覚えています。

 理系に興味を持ったきっかけはこれといってなく、元々算数や理科が好きで、気づいたら理系に進んでいたという感じです。理系の中でも興味が絞られたのは、高校3年生で有機化学を勉強してから。いろいろな有機物を作り出せるところに魅力を感じ、その面白さを追究するため基礎をきちんと勉強しようと、大学は理学部を志望。有機化学で有名な教授のいる大学を調べ、博士課程まで進んで学位を取ろうと心に決め東北大学理学部に進学しました。

 

実験が好きだったのですか?

実は高校時代には実験の経験がなく、初めて本格的に実験をしたのは大学4年生で山本研究室に所属してからです。山本嘉則教授は、大学選びの決め手となった高名な教授であり、念願叶って師事することができました。

 

2...-1甲村

山本研究室で実感したのは、有機合成というのは紙の上で考えても頭に入るものではなく、実際に手を動かしていろいろなものを作っていくなかで理解できる部分が大きいということです。後々研究者としてやっていくためのベースが形成されたのがこの時期であり、私にとって重要な1年間となりました。

 

 

その1年間は、ひたすら研究に没頭したのですか?

いいえ、さぼってばかりの不真面目な学生でした(笑)。中学、高校と部活に励み、大学でもアメリカンフットボール部に所属。卒業研究に専念しなければならない時期も、部活に時間を取られていました。結局、どっちもおろそかになってしまった感があります。

ただ、部活を続けたことで、研究の面でも踏ん張りがきくようになった気がします。結果が悪くても、「次に行こう」と気持ちを切り替えることができる。有機合成の実験には忍耐力が必要ですが、スポーツで心身を鍛えたことが研究生活に多少は役立っているかもしれません。

 

【原田研究室で「絶対立体化学の決定」に取り組む】

当初の予定通り、大学院へ進学したのですか?

3.甲村

部活を言い訳にはできませんが、院試で第1希望の山本研究室に落ちてしまい、第2希望の原田宣之教授の研究室に所属しました。ここで出会ったテーマが後に大きく発展することとなり、いま思えば必然だったのかもしれません。

当時、原田教授が取り組んでおられたのが「有機立体化学」です。有機化合物というのは平面構造ではなく3次元構造をしていますが、それを決定したり、新しい構造決定法を開発したりするのが研究室の主要テーマでした。

 

 

 

 

恩師である原田教授の人柄や指導方針は?

研究に対して極めて真摯で、研究が心底好きな、稀に見る本物の研究者という印象です。何かアイディアが出たときに、「ちょっと寝る前に考えたんだけどね」とか、「お風呂に入っているときに考えたんだけどね」と切り出すので、それほどいつも研究のことばかり考えているのかと驚かされました。

また、何か相談すると絶対にだめだとは言わず、背中を押してくれます。鹿児島弁なのかどうかわかりませんが、「やってみらにゃー(やってみればいい)」というのが原田教授の口癖でした。

原田研究室で取り組んだ研究テーマは?

最初に与えられたテーマは「絶対立体化学の決定」です。まったく同じに見えて、鏡に映すと重なり合わない関係の4..化合物を“鏡像異性体”といいます。物理的性質は同じなのですが、光を右に曲げる・左に曲げるという点だけが違う化合物です。それを絶対立体化学と位置づけ、私は“あるねじれたπ電子系化合物”の絶対立体化学を決定する研究をしました。

その方法は2通りあり、1つはCD(Circular Dichroism=円二色性)励起子キラリティー法です。直線偏光を光学活性な有機化合物に当てると、右回りの光(右円偏光)と左回りの光(左円偏光)の振幅に差が生じます。これを円偏光二色性と呼び、この現象と関連させて有機化合物の絶対立体配置を決定する方法が励起子キラリティー法です。

もう1つはX線結晶解析です。実際に分子がどういう構造をしているのかをダイレクトに観測し、さらに原子の異常分散効果を利用した絶対立体構造の決定法です。

私はこの2つの方法を使って “あるねじれたπ電子系化合物”すなわちビフェナンスリリデンと呼ばれる有機化合物の絶対立体化学を決定し、その成果を修士論文にまとめました。

5..

有機化合物を3次元でとらえることが、なぜ必要なのですか?

よく知られた例として、サリドマイド薬害事件が挙げられます。サリドマイドという薬は鏡像異性体であり、片方は陣痛促進剤として作用しますが、もう片方は催奇形性を持っており、そのため重い障害のある子どもが生まれ社会問題となりました。まさに、ものづくりにおける絶対立体化学の重要性を再認識させられる事例と言えます。

 

【“あるねじれたπ電子系化合物”の光異性化反応で、面白い現象が次々と】

博士課程で取り組んだ研究テーマは?

6.博士課程1年の11月からオランダ(フローニンゲン大学、Ben L. Feringa 教授の研究室)に留学することが決まっていたので、留学前に博士論文のテーマを探して研究に取り掛かろうと考えました。そこで閃いたのが、 ビフェナンスリリデン化合物に光を当てたらどうなるか、ということです。原田研究室では光反応を得意としておりませんでしたが、自分の興味が趣くまま光異性化反応に取り組むことに決めました。

いざ実験を始めると夏頃までに次々と結果が出て、「この分子系で面白い現象が出てきている。この先もトントン拍子に研究が進んでいきそうだ」と手応えを感じました。

Feringa 教授(2016年ノーベル化学賞受賞)の研究室に留学した経緯は?

Feringa研究室から原田研究室に留学生が来ており、その様子を見にFeringa 教授が来訪されたことがあります。その時に初めてお会いしました。

それは私が修士課程2年の終わり頃、必死で修士論文を仕上げようと土日も休まず研究室に通っていた時期です。実際は修士1年でさぼり過ぎたしわ寄せがきているだけだったのですが、Feringa 教授の目には熱心な学生と映ったらしく、留学のお誘いをいただきました。

7..留学期間は3か月。大所帯の研究室ですが、コミュニケーションをとろうとFeringa 教授が積極的に話しかけに来てくれました。英会話力や論文を読むスピードも向上し、語学の面でも非常に得ることの多い留学となりました。

 

 

 

帰国後、研究の続きは順調に進みましたか?

博士課程の3年間をつぎ込んで、ビフェナンスリリデン化合物における一連の面白い現象を解明していきました。研究の過程でいくつか細かい成果が出ており、それをもとに博士論文をまとめ、すんなりと学位を取得することができました。また、その合間に再度オランダのFeringa 教授を訪ね、大学院修了後はポスドクとしてFeringa研究室へ行くことが決まり、さまざまなことが順調に進んだ印象があります。

 

【分子モーターの基本概念を確立し、Feringa教授のノーベル化学賞受賞に多大な貢献】

オランダでも成果をあげることはできましたか?

1999年、Feringa研究室に直接雇用される形でオランダでの研究がスタートしました。博士時代の研究は逐一Feringa 教授に報告しながらやっていたのですが、彼の狙いは、私をその研究テーマごとオランダに呼ぶことであり、Feringa研究室で研究の続きをして論文化するという考えが既定路線としてあったようです。

そうしてポスドク1年目に書き上げたのが、Natureに掲載された論文です(*)。

(*)Light-Driven Monodirectional Molecular Rotor

  1. Koumura, R.W.J.Zijlstra, R.A.van Delden, N. Harada and B. L. Feringa

Nature 401, 152-155 (1999)

8..

分子モーターの基本概念を確立し、後にFeringa 教授のノーベル賞受賞につながる重要な成果ですね。

ノーベル賞受賞に貢献できたのは、とても嬉しいことです。

光動力キラル分子モーターについては、原田研究室時代に非常に面白い現象だと思っていたのは確かですが、これほど重要なことだとは気づいておらず、唯一Feringa 教授だけが気づいていたことになります。

そもそも私が修士時代から扱っていたビフェナンスリリデン化合物というのは、Feringa教授自身がPhDのときからずっと続けてきたテーマで、私の研究とは別の方向に進んでいました。ですから、ある意味彼がオーソリティと言えなくもないのですが、その化合物を使って実際に新しい現象を見つけたのは、私が日本で為し得たことです。

その後も、別の化合物系に分子モーターの概念を適用し、研究を発展させていきました。結果的に、オランダでの研究は3年間続きました。

 

【産総研で実用化を意識した研究テーマにシフトし、色素増感太陽電池で成果】

帰国後、産総研に入所してからの研究テーマは?

2002年に入所して物質プロセス研究部門に所属し、引き続き新たな分子マシンの開発に従事しました。しかし2年間は何をしても全然結果が出ず、焦りが募るばかりでした。

当時は分子マシンの研究が盛んだったのですか?

盛んな時期ではあったのですが、かなりアカデミックな仕事のため、産総研の主目的である産業への貢献にはなかなか結びつきません。そこで、ナノテクノロジー部門へ異動後、分子組織体の構築による材料開発へと研究テーマをシフトしました。

9.液体に有機物を入れ、ある刺激を加えて3次元編目構造のようなものを作り、その中に液体を取り込ませると粘度の高いゲル状態になります。私は、機能を持たせたゲル化剤の開発や、ある刺激でゲル状態と液体状態を交互に行き来するゲル化剤の開発などに取り組みました。

さらに、応用につながるレベルまで発展させようと、今度は機能性液体をゲル化しようと考えました。そして、吉田勝主任研究員(当時)との共同研究により、イオン液体に適用できるゲル化剤の開発に成功しました。

そのゲル化剤は、応用につながりましたか?

応用先として考えたのが、色素増感太陽電池です。これは液体の電解質を使って駆動(発電)する太陽電池ですが、その液体をゲル化して漏洩を防ぐというコンセプトで原浩二郎主任研究員(当時)と共同研究をスタートしました。原さんの専門は太陽電池デバイス作製で、私の専門は有機合成。異分野の研究者同士で応用研究に取り組んだわけです。

原さんは2005〜2006年頃、イオン液体ゲル電解質を担当していた私に、有機合成の知見を活かして色素開発をするよう持ちかけました。当時使用されていた増感色素はルテニウムという貴金属で、変換効率は良いものの、コストをはじめいくつか課題がありました。そのため、メタルフリーな有機系色素が考案されつつあったのですが、変換効率が悪く、実用化の見込みはありませんでした。しかし、もし変換効率の良い有機系色素を開発できれば、実用化に打って出られる。それを目指して開発したのが、有機色素MK-2です。

10.

 

 

 

 

有機色素MK-2とイオン液体ゲル電解質を組み合わせ、2008年には色素増感太陽電池としては世界最高レベルの変換効率を達成しています。それにより、実用化へ大きく前進したのですか?

11.甲村NEDOの助成金獲得、太陽光発電研究センターへの異動、企業による有機色素MK-2の試薬販売など、一時期はトントン拍子に発展していきました。

しかし、世の中では結晶系シリコン太陽電池の市場が成熟し、別系統の太陽電池の出番がほぼなくなってしまったのが現状です。

 

 

 

 

【フロー精密合成法の国家プロジェクト立ち上げに向け、研究マネジメントに奔走】

その後、また別の研究にシフトしたのですか?

いいえ、色素増感太陽電池の研究からも、さらに言えば研究自体から足を洗うつもりで、2015年1月から1年間、経済産業省へ出向しました。人と人をつなぐ仕事に興味があり、研究マネジメントを学ぶのが最大の目的です。

出向先の化学課では、プロジェクト立案に携わりました。一筋縄ではいかない、かなりハードな業務です。研究だけをしていたら到底知ることはなかった世界に飛び込んだわけですが、研究費の流れや、研究プロジェクトを立ち上げるツボ、人との交渉術など、研究マネジメントに役立つ知識をたくさん吸収することができました。

これから触媒化学融合研究センターで担う役割は?

2017年1月に着任し、4月から個体触媒チームの研究チーム長を務めています。

触媒化学融合研究センター内に、2015年10月1日「フロー精密合成コンソーシアム(Flow Science & Technology consortium:略称FlowST)」が立ち上がり、それはもともと私が興味を持っていたテーマでした。

すでに今年1月からNEDOの先導プログラムがスタートしていますが、それを本格的な国家プロジェクトに移行するため、出向での経験を活かして経済産業省やNEDOの方々とコンタクトをとりながら、立ち上げに奔走しているところです。研究マネジメントを実践することができ、とても充実した日々を送っています。

フロー精密合成は、世の中にどう役立つのですか?

これは、ものづくりの新しい手法を考案するプロジェクトです。簡単に言うなら、もともと1つの釜で作っていたものを、流しながら作るシステムを構築する。このシステムでいろいろなものを作れるようにするのが目標です。

たとえば、企業が私たちのコンソーシアムに来て、作りたいものの製造スキームを一緒に考え、ラボスケールのシステムを構築する。そういう企業が何社も集まり、技術を磨き、自社に持ち帰って実際の製造につなげる。そういうイメージです。

同じものを作るにしても、従来の釜を使う方法ではプラント立ち上げに莫大な設備投資が必要となり、もし投資を回収できなければ会社が傾くことにもなりかねません。一方、フロー精密合成は、省スペース、省エネルギーでの製造が可能で、維持費の負担も少なく、製造を終了することになれば容易に解体することができます。これが普及することにより、企業は新しい事業にチャレンジしやすくなり、競争力を高めることができるでしょう。

もしも、フロー精密合成のシステムをレンタルする会社ができたり、運びながら製造するシステムができたりすれば、固定資産税すら不要となる。まだ夢物語ですが、そういう未来像を膨らませつつ目の前の仕事に取り組んでいます。

無事にプロジェクトが立ち上がった後の役割は?

有機合成の知識を活かして反応開発のアイディアを出すことに加え、若手研究者が働きやすい環境づくりをするのが私の役割です。

今後、若手研究者をどのように導いていきたいですか?

研究は絶対に一人ではできません。風通しが良く、仲間づくりがしやすい環境を守っていきます。

同時に、自由に研究できる環境づくりに尽力します。ときに方向修正をすることは必要ですが、「これをやれ、あれをやれ」と指示するつもりはありません。何をするかは研究者自身で見つけ出さなければならず、そこから出発しなければ達成感を得ることはできないからです。

最後に、研究者に求められる資質とは何だと考えますか?

名刺替わりの仕事を持つことではないでしょうか。私の場合は有機合成、有機立体化学ということになります。“自分12.甲村は何者であるか”を明確に言えれば、どこへ行っても研究者として食べていけるでしょう。

よく「誰にも負けないものを持て」と言われますが、私は決してそうは思いません。負けてもいいし、そもそも勝ち負けではない気がします。勝つ時もあれば、負ける時もある。重要なのは、そうした場面で自分の考えを柔軟に変えられるかどうかです。とは言え「何でもやります」では絶対だめで、自分のバックグラウンドやオリジナリティを活かす方策を柔軟に模索し、努力を止めない。そういう姿を見てくれている人が、絶対にいるものです。

 

 

 

(聞き手・文=太田恵子)