第7回 ケイ素化学チーム 島田 茂 研究チーム長インタビュー
『世の中の役に立つ、新しく画期的な有機ケイ素材料を作る。』
【世の中にない新しいものを作り出したくて、化学の道を選択。】
島田さんが化学に興味を持ったきっかけは何ですか?
化学に興味を持ったのは遅い方で、大学の受験勉強をしている時です。もし慶応義塾大学に建築学科があったら、いま私は化学者になっていなかったかも知れません。というのは慶応義塾高校時代、「自分の設計したビルを建ててみたい」と建築の道に進むことを考えたのですが、慶応義塾大学に建築学科がないので他大学を受験するしかありませでした。そうして受験勉強をするうち、高校の授業では全然興味のわかなかった化学が俄然面白くなってきたのです。
参考書を見て、例えば10円玉をバーナーでゆっくり炙ると酸化第二銅という黒い酸化物になり、急激に冷やすと酸化第一銅という赤っぽい酸化物になる、というような実験をしたりしました。願書は建築学科に出したのに、受験する頃にはもう気持ちは化学に向かっていた。結局、1年浪人して東京大学に入学しました。
大学では、期待通り化学の面白さを感じられましたか?
やはり化学の醍醐味といえば実験ですよね。でも東京大学では最初は専門を決めずに一般教養を学びますので、すぐに実験ができるわけではありません。それでまず「化学部」というサークルに入りました。そこでは、夏休みに北海道の中学生に実験を見せるという伝統行事があり、実験道具一式を担いで北海道へ行ったのがとても印象深い思い出となっています。
4年生で研究室に配属される時、いよいよ何を専門とするか決めることとなり、迷った末に有機合成の研究室を選びました。一番の理由は、今まで世の中になかったものを自分で作り出せるところに面白さを感じたからです。ある意味、自分で設計してビルを建てる建築と似たところがありますね。
研究室では、かなり鍛えられましたか?
私が入ったのは厳しいことで有名な研究室で、夜遅くまで実験をして、大学の寮へ寝に帰るだけの日々が続きました。主な研究テーマは、新しい反応の開発です。環状骨格を持つ有機化合物を原料に、ルイス酸と呼ばれる触媒を用いて有用な化合物へと変換する方法について研究していました。大学4年生から大学院で博士号を取るまでの6年間、その研究室にいましたが、興味のおもむくまま新しいものを作り出すことに没頭し、自分のやりたいことを夢中でやっていられたので、いま振り返ると一番楽しい時代でした。
【新しい有機ケイ素材料の開発課程で、世界初の中間体を発見。】
卒業後は研究者になると決めていたのですか?
最初から企業への就職は考えず、大学か研究機関に就職したいと希望していました。大学の先生の勧めもあり、1993年に産総研の前身である物質工学工業技術研究所に入所しました。
当時、物質研では国家プロジェクトによるケイ素(Si)の研究が進行中で、私が入所したのは10年計画の3年目に当たる年でした。後で分かったことですが、私の採用枠はそのプロジェクトのために1人増員された枠だったため、自ずとケイ素の研究をすることになったわけです。それがきっかけで、今日まで約20年間ケイ素の研究を続けています。
入所当時のプロジェクトでは、どのような研究をしたのですか?
新しい有機ケイ素材料の開発です。研究テーマというのは時代の流れに左右されるところがあり、当時日本は、欧米の基礎研究にただ乗りするのではなく、日本としても基礎研究に力を入れようという流れの終盤の時期だったため、最初は基礎的な開発に重きが置かれていました。ところがその後バブルがはじけて社会状況が変わり、より実用的な成果が求められるようになりました。でも私自身は、そうした流れの中でも比較的自由に研究をさせてもらい、基礎研究としては面白い成果を出すことができました。
それはどのような成果ですか?
新しい有機ケイ素化合物の触媒反応を探索する途上で、今まで知られていなかった中間体ができていることを世界で初めて発見しました。パラジウムは触媒として重要な金属であり、この発見は科学誌『Science』に掲載されるなど化学者の間では国際的な注目を集めました。実用的な触媒の開発に直結するわけではないので、どう役立つのかと問われると説明が難しいところはありますが、パラジウムの触媒としての可能性を広げる成果だと言えます。
このような基礎研究を地道に続けたいと思う一方で、産総研としては世の中の役に立つ研究をしなければならない使命があり、現在は実用を意識した研究が中心となっています。
【10年計画の国家プロジェクトで、ケイ素に寄せられる大きな期待。】
平成24年度に、ケイ素に関する10年計画の国家プロジェクトがスタートしたそうですが、概要を教えてください。
経済産業省が新しく立ち上げた「未来開拓研究プロジェクト」の中で、第1号となるテーマの1つが「有機ケイ素機能性化学品製造プロセス技術開発」です。産総研が集中研(各参加企業の研究員が一つの研究機関に集まる研究開発方式)となり、企業3社、大学4校と共同で研究を進めています。研究課題は2つあって、1つは砂から有機ケイ素原料を省エネかつ低コストで作るための触媒技術の開発、もう1つが有機ケイ素原料から新しい高性能な材料(シリコーン)を作る触媒技術の開発です。
シリコーンとは何ですか?
シリコンとシリコーンは混同されがちですが、違うものです。シリコンはケイ素そのもので元素の一つですが、シリコーンというのはケイ素が含まれる高分子材料のことです。例えば身近な例を挙げると、パソコンの半導体に使われているのはシリコンで、シャンプーに入っているのはシリコーンの方です。
いま世の中で使われている有機ケイ素材料は、ほとんどすべてシリコーンであり、そのシリコーンをターゲットとしてより優れた画期的な材料を作ろうとしているのが現在のプロジェクトです。先ほどお話しした物質研時代のプロジェクトは、シリコーン以外の新しい有機ケイ素材料の開発を目指したもので、そこに大きな違いがあります。
なぜ長期的な国家プロジェクトが組まれるほど、ケイ素に大きな期待が寄せられているのですか?
期待される理由はいくつかあります。1つ目は、身の回りにある石や砂が原料になるからです。ケイ素は、酸素に次いで2番目に多い元素であり、地表上に存在する元素の約4分の1を占めています。つまり、日本に資源がいくらでもあることになります。シリコーンは実は現在もケイ石という石を原料に作られています。ケイ石というのは、ケイ素と酸素が1対2の割合で結合したものです。現在は、そこから一旦酸素を全部取り除いてケイ素だけを取り出します。コンピューターに使われる半導体のケイ素はこの純粋なケイ素を必要とします。しかし、シリコーンは一旦取り除いた酸素をもう一度結合させて作られます。酸素を取り除くプロセスは1700度以上まで加熱するため、膨大なエネルギーとコストを必要とし、大量の一酸化炭素や二酸化炭素も排出されます。そうした問題を解決できるような、省エネで低コスト、環境負荷の少ない製造プロセスを開発できれば、非常に世の中の役に立ちます。
2つ目は、有機ケイ素材料の産業規模の拡大です。現在、有機ケイ素産業は石油化学産業の200分の1ほどの規模しかありません。しかし資源はたくさんあるわけですから、産業に結びつくものが作れれば産業規模が一気に拡大する可能性があります。今回のプロジェクトに参加されている信越化学工業や東レダウコーニングのように、日本にはシリコーン事業で世界トップの企業があります。そうした日本の強みをさらに強化するという意味で、大きな期待が寄せられています。
3つ目は、有機ケイ素材料は他の材料では代替できないような優れた性能がたくさんあるからです。例えば耐熱性が非常に高く、しかも低温にも強いため、極めて幅広い産業分野で活用することができます。また、光に対する透明性と安定性が高いのも特徴です。これはLED照明や有機EL照明の素子を保護する材料として非常に優れた特性であり、最近は有機ケイ素材料が中心に使われるようになっています。また、太陽電池の周辺材料としての使用も増えており、エネルギー関連材料としても注目を集めています。
【企業との共同研究により、ケイ素の反応を制御する基礎的な技術開発が進行。】
国家プロジェクトが始まって2年目となりますが、手応えはいかがですか?
2つの課題のうち、砂から有機ケイ素原料を作る新しいプロセスについては、かなり手強く、時間がかかりそうです。現在の製法が70〜80年前から変わっていないのは、それだけ変えるのが難しいということですが、試行錯誤しながらチャレンジしています。
もう1つの課題である新しい有機ケイ素材料の開発については、徐々に成果が出つつあります。まず、有機ケイ素材料を作るプロセスでどのような反応が起きているか解明が進みつつあります。また、材料の基本となるケイ素が1つだけある「単量体」を作ることに初めて成功しました。さらに、シリコーンのケイ素と酸素のつながり方を狙い通り制御できる技術も開発できました。これらは、これまで難しかった高度な構造制御を可能にする成果です。
また、現在は有機ケイ素材料の触媒として主に白金が使われています。しかし白金は高価であり、貴重な資源を回収できない状態で使用していることが課題となっていました。そこで、白金に替わる鉄などの安価な触媒の開発に挑んでおり、徐々に芽が出つつあるところです。
集中研方式のプロジェクトで、異分野融合のメリットを感じることはありますか?
参加企業はシリコーン材料あるいは電子材料など各社それぞれに豊富なノウハウや実績を蓄積しており、一方私たち触媒化学融合研究センターは触媒の知識や技術を蓄積しているので、お互いの強みを活かしながら研究を進めることができます。
現在は競合する企業の方同士が、産総研で情報を共有しながら一緒に研究をしています。やがてこのプロジェクトで得られた成果を使い、各社が競争して実用化の道を拓き世の中に役立ててもらえれば、それが私たちにとって一番幸せなことです。
【未知のものに対する興味をモチベーションに、粘り強く挑戦。】
国家プロジェクト以外の研究テーマはありますか?
ケイ素化学チームでは、ビスマス(Bi)を利用した触媒や反応剤の開発をはじめ、鉄(Fe)やコバルト(Co)、ニッケル(Ni)などに代表される3d金属錯体を触媒として活用する研究などにも取り組んでいます。ビスマスの研究は10年以上続けていますが、面白いテーマなのでうまくケイ素の研究に活かしていければと考えています。
ところで、ビスマスというのはとてもきれいな鉱物で、コレクターアイテムの一つにもなっています。
私もビスマスを飾っています。(笑)
何事にも興味を持って面白がる感性が、化学者に欠かせない資質のようですね。
そうですね。面白がらないと研究はできませんし、面白がればやりがいが一層大きく感じられるものです。ただし興味本位ではなく、いかに世の中の役に立つかを強く意識することが大切です。
今、島田さんは非常に難しくも夢のあるテーマに挑戦していますが、最後に今後の意気込みを聞かせてください。
未知のものに対する興味や、世の中の人に感動してもらえるものを見つけたいという思いが私のモチベーションとなっています。
課題が難しければ難しいほど、挑戦しがいがあるものです。これまでも諦めずにやってきた中で、正攻法では上手くいかなくても何かしら解決の糸口が見えてくる経験をしてきました。 ですから今後も、簡単に先が見えないことでも粘り強く挑戦していきたいと思います。
(聞き手・文=太田恵子)