触媒固定化設計チーム

第16回 革新的酸化チーム 田村正則研究チーム長

『フッ素化合物の合成から、環境にやさしい酸化技術へ』

【『信×深=真なり』 向山研究室で触媒的アルドール反応に挑む】

  • 田村さんは子どもの頃から科学に興味を持っていたのですか?

 

小学校では科学クラブに入り、中学時代の好きな教科は理科や算数でしたから、子どもの頃から間違いなく理系でした。

1.田村高校のとき入った化学部では、歴代の先輩方が多摩川の水質分析を続けており、私も空き瓶を持って水を汲みに行き、分析した結果をまとめて文化祭で発表したりしました。そうした真面目な活動をする一方で、化学の面白さを実感できる “遊び”も経験しています。たとえば、学園祭のイベント用に仕掛け花火を作ったこともありますし、体育祭では聖火台作りや駅伝リレーのスタートの号砲作りは化学部の役割。今では考えられませんが、高校生が割と自由に花火に使えるような薬品を扱えたのですから、大らかな時代でしたね。

 

                                                                                                大学では何を専攻したのですか?

東京大学の理学部化学科に進み、化学の中でも有機合成化学の研究室を選びました。というのも、どうも自分には正確性を追究する分析は向いておらず、「もの作りならば、できてしまえばOKだろう」という思いがあったからです。大学4年の後期に、希望通り向山光昭教授の研究室に所属することができました。

  • 向山研究室では、どのような研究テーマに取り組んだのですか?

 

触媒を使ったアルドール反応(天然物の合成によく使われ、有用な炭素-炭素結合を生成する反応の一つ)です。従来は金属塩などが触媒に使われていましたが、炭素カチオン(炭素に正電荷が付いた陽イオン)が使えることが分かってきて、炭素カチオンを使った不斉合成というテーマが私に与えられました。

しかし、卒論を仕上げるまでの半年間で成果を出すことはできず、大学院でも最初の半年間はその実験を続けましたがやはりうまくいきませんでした。そこで研究テーマを変え、マイケル付加反応(炭素骨格の構築によく使われる反応の一つ)による異性体の作り分けでようやく成果を上げることができました。

図1.

有機合成化学の研究室というのは体力勝負です。人海戦術で実験を100回やって1回当たるというようなところがあり、毎日終電まで実験ばかりしていました。向山研究室は先輩も優秀な方ばかりで、正直なところ先輩から与えられたテーマの実験をするだけでめいっぱいでした。

  • 向山教授から教わったことで心に刻まれていることは?

 

向山先生は、講演でご自分の信念をワンフレーズで表現されることがよくありました。たとえば『信×深=真なり』。自分を信じて深く追究すると真実が得られる、という意味です。とにかく努力を大切にされる先生で、「研究者は諦めてはいけない。適当なところで諦めてしまうと負け犬となる。とことん努力し、できるまで諦めるな」とよく言われたのを覚えています。向山先生のお話は、いつも私たちを元気づけてくれました。

【フロン代替物の国家プロジェクトと並行し、フッ素化合物を開発】

  • 化学技術研究所に入所後は、どのような研究テーマを手掛けたのですか?

 

1987年に産総研の前身の一つである工業技術院化学技術研究所に入所し、有機合成化学部の高分子研究室に所属しました。当時の上司である関屋章さんがフッ素化学を長年研究されてきた方だったため、私もフッ素系官能基をつけた高分子材料や単分子膜の研究をすることとなりました。

私自身は大学時代にフッ素を扱った経験も高分子を学んだこともありませんでしたが、その研究に約5年間取り組み、論文を発表して博士号を取得することができました。

  • フッ素の高分子を研究した後、次に選んだ研究テーマは?

 

もともとの専門だった有機合成化学に戻りたくなり、上司に「高分子をやめて有機合成の研究をしたい」と相談したところ、フッ素化合物の合成を勧められました。

2.田村それには当時の社会背景が関係しています。ちょうどその頃オゾンホールが見つかり、世の中ではフロン代替物を研究しようという動きが活発になっていました。フロンはエアコンの冷媒や工業原料などに広く使われていましたが、最初にオゾン層破壊のやり玉にあげられたのがクロロフルオロカーボン(CFC)です。その代替物としてヒドロクロロフルオロカーボン(HCFC)、ヒドロフルオロカーボン(HFC)などを企業が開発しました。そのうち、フロンがオゾン層を破壊するだけでなく地球温暖化との関連が取りざたされるようになってきたことから、HFCのさらに次のフロン代替物を開発しようと大型国家プロジェクト(『圧縮式ヒートポンプ用新規冷媒研究開発』1990~1994年度)がスタートし、私も加わることになりました。さらにその後継プロジェクト(『エネルギー使用合理化新規冷媒等研究開発』1994~2001年度)も行われました。

 

  • フッ素化合物とフロン代替物の研究には、どのような関連があるのですか?

 

私はその前期の国家プロジェクトとほぼ同時期に、フッ素化合物の合成反応の基礎的な研究をしていました。それは、新しく開発されたフロン代替物がやがて工業原料などに広く使われる展開を見越して、“代替物を作る”だけでなく“代替物を使う”ための基礎的な研究に意味があると考えたからです。

後期のプロジェクトが走り出してからも、フロン代替物の研究に参加しつつ、それと並行して自分が一番興味をひかれていたフッ素化合物の合成に取り組みました。

  • フロン代替物の国家プロジェクトでは、どのような成果が出ましたか?

 

前期プロジェクトの終盤に、ヒドロフルオロエーテル(HFE)というエーテル系の化合物がフロン代替物の有力候補として上がりました。これは、プロジェクト参加企業との共同研究でエーテル系、窒素系、シリコン系など総なめで実験し、物性や安全性、環境影響などに優れているものを絞り込んだ結果です。後期プロジェクトでは、このHFEを中心にケトンやオレフィンを加え、冷媒、発泡剤、洗浄剤という用途ごとの開発が進められました。

しかしエーテル系は工業製品として量産するには合成しにくいものもあり、また製造コストも高いという課題があるため、これらのプロジェクトの終了後もその解決に向けた研究を進めました。結果として洗浄剤用途の化合物は製品化されましたが、それ以外の用途では製品化には至っていません。

t2

【新しいフッ素化合物の合成と、安全性や環境影響の評価が2本柱に】

  • その後、田村さんの研究はどのような方向に進んだのですか?

 

組織再編などにより、私の役割にも変化がありました。まず、国家プロジェクトの終盤である2001年に産総研が独立法人化され、研究ユニットの再編に伴いフッ素系等温暖化物質対策テクノロジー研究センターが設立。その研究センターが3年後に解散し、環境化学技術研究部門にフッ素化合物合成グループとフッ素化合物評価グループが設けられ、さらにその2グループが合併してフッ素化合物グループとなり、私がグループ長を務めました。

合成の研究に加え、私の専門外であった安全性や環境影響についても対外的に説明する立場となったため、それを機に新たに勉強を始めました。

  • フッ素化合物の“合成”と“評価”という2本の柱ができたわけですね。

 

その通りです。合成の方は企業との開発競争という側面がありました。一方、評価は企業単独ではできないため、安全性や環境影響の評価が強く求められていました。

  • まず、フッ素化合物の“合成”の研究はどのように推移していったのですか?

 

先ほどお話ししたエーテル系(HFE)が一つ。もう一つは、HFCについて従来の合成法ではなく、4員環(炭素が4つの環状の炭化水素)の化合物の合成に取り組んでいます。フッ素系のオレフィンは熱的な反応で4員環を作ることが知られており、この合成法の展開です。4員環の化合物は、類似の鎖状化合物より温暖化係数が小さいことも分かりました。一方、5員環のオレフィン系の化合物については20年以上前から企業との共同研究が継続しており、洗浄剤や半導体のエッチング剤として優れた製品が実用化されています。

最近では外国の企業がオレフィン系のフロン代替物を開発し、カーエアコンへの実用化が間近と言われています。オレフィン系のフッ素化合物は猛毒の物質もあることが知られているため、当初はなかなか手を出せずにいましたが、今では種々の開発が進められています。

もう一つ、現在進行中のテーマとして、これまでになかった需要を開拓する取り組みがあります。それは、未利用熱を活用してヒートポンプを開発する国家プロジェクトの中で、冷媒の開発を目指すものです。

  • もう一つの柱であるフッ素化合物の“評価”について教えてください。

 

フロン代替物の安全性評価は、世界標準と合わせる必要があります。そのため、たとえば安全性評価の一つである燃焼性については燃焼限界と燃焼速度の評価があり、燃焼限界については標準的測定法であるASHRAE法で行っています。一方、燃焼速度については、非常に燃焼速度が遅いものを正確に評価する必要が出て来たため、新しい測定技術の開発を進めています。

環境影響評価については、大気寿命が温暖化と深く関わっています。大気中にはOHラジカルという化学種があり、それとフロン代替物が反応して分解されていきます。その反応が速い、つまり大気寿命が短ければ、その化合物は短期間で消えていくため温暖化への影響が小さいということになります。そのOHラジカルとの反応速度を測る研究をしています。

これらの燃焼性評価と環境影響評価は、現在機能化学研究部門で引き続き研究が進められています。

【注目を集める過酸化水素水を使った酸化で、次の展開を目指す】

  • 田村さんは今年(2015)4月、革新的酸化チームの研究チーム長に就任されました。今度は「酸化」がメインテーマとなるのですね?

 

3.田村これは佐藤一彦研究センター長が長年研究されてきたテーマで、過酸化水素を酸化剤として使えば、排出されるのは水だけなのでクリーンな酸化ができます。3つの触媒を組み合わせることで、有機溶媒を使わなくとも反応がうまくいく系もありますし、ハロゲンを使わず酸化できることも大きな特徴です。現在は、三元系触媒のさらなる探索から、酸化の基礎技術を企業ニーズに合わせて展開する研究、さらに企業との共同研究による実用化プロセスの開発まで、さまざまなフェーズでの研究が進行中です。この過酸化水素を用いた酸化反応は、ファインケミカル分野でも非常に高いニーズがあります。

もう一つ、これまでフッ素化合物グループが手掛けてきたフッ素化技術を応用し、フッ素化学品の工業生産に役立つような技術開発を進めていきます。

  • 研究チーム長として、これから挑戦したいことは何ですか?

 

酸化については、研究がかなり進んで技術がある程度出来上がっており、メリットも明らかです。その先をどう展開していくか、考えなければなりません。具体的に見えているイメージとしては、一つはより汎用性の高い酸化反応プロセスへのチャレンジ。もう一つは、フラスコ内での反応ではなく、工業的なフローにつながる研究にチャレンジすることです。これは、装置の中に触媒を入れておいて、材料を右から左に流してスムーズに酸化反応を進めていくような技術です。当研究センターはこの10月に東大と協力して「フロー精密合成コンソーシアム」を立ち上げました。これを足掛かりに、フローの酸化プロセスを開発して、企業とともに実用化に進めていければと思います。

3.図

  • これまで田村さんが手掛けてきた研究テーマは “環境”との関わりが深いのですが、長年の研究で環境に対する意識は変化しましたか?

 

4.田村やはり否応なく地球環境を意識するし勉強もしてきましたが、研究をする中でだんだんと、「地球温暖化にどの物質がどれだけ関与しているのか、人間がどれだけ関与しているのか、地球環境について色々なことが分かってきているのは確かだが、本当のところはどこまで分かっているのだろうか」という思いが強くなりました。もちろん、近年の人類の活動が温暖化に影響を与えているのは確かだと思います。ただ、もっと長い視点で見たときには、さらにいろいろな要因があるのではないかと思います。一方で、今の我々の世代、子供や孫の世代をまず考えて対策を立てなければならないのも確かです。難しいことだと思います。
温暖化係数一つとっても、一度その値が公表されると、それによって研究の方向性や、政策、法律、企業の製品開発の基準など、実に多くのものが左右されます。でも、温暖化係数は決して確定した一つの数値が出されているわけではありません。何年間の温暖化の影響を考えるかで数値は異なりますし、細かい話になりますが、温暖化係数を計算する根拠となっている大気モデルや、基準となる二酸化炭素の大気中での挙動の数式が更新されれば、値は変わります。たとえば温暖化係数が何万から何千というオーダーで下がるならともかく、微小な差にまで振り回されるのはバランスを欠いているように思います。

こうした私の視点は、産総研にいたからこそ養われたものだと言えるでしょう。産総研は、国策に関わる研究ができ、企業、学界、社会などと幅広く関わる機会を得られます。そのため自分の研究を掘り下げるだけでなく、俯瞰的に研究の意味や必要性を捉えることができる。そうした環境で研究できるのが、産総研の魅力だと思います。

 

(聞き手・文=太田恵子)